ごあいさつ
[院長紹介]
石井すこやか整骨院 院長
石井 貴樹
1980年10月18日生まれ 千葉県出身
[略歴]
厚生労働大臣認可有資格者 柔道整復師
日本コアコンディショニング協会 ベーシックインストラクター
BALANCE工房 オーダーメイドインソール公認調整士
国際レインボー学会 レインボーセラピスト取得
JRC上級セラピスト取得
BMK美健整体セラピーマスター取得
JACS主催 姿勢分析セミナー 技術講師
Improving Posture Technique 技術開発者
[施術家を目指したきっかけ]
こんにちは!「石井すこやか整骨院」院長の 石井 貴樹です。
私は20歳の時にこの業界に入り、以来、整骨院や整体院にて経験を重ねてきました。
私が施術家を目指したきっかけは、中学時代に所属していた野球部でのケガがきっかけでした。
ある日の練習中に全力で遠投をしていた際に、投げた瞬間に肘が「ボキッ、ブチッ」と音が鳴りました。
痛みで、その場にうずくまり痛みに悶えていました。
左肘はすぐに大きく腫れあがり、患部を反対の手で押さえてないと激痛でした。
「これは、骨折でもしてるんじゃないか?」という不安から病院に行きました。
レントゲン検査の結果、骨に亀裂は入っているようだが、もっと詳しく検査したいのでMRIによる精密検査を後日、受けることになりました。
そしてわかった検査結果は「離断性骨軟骨炎」と言われました。
軟骨の断裂で関節の中にその軟骨片が入ってしまい、痛みや障害を引き起こすと説明されました。
すぐさま腕はテーピングとギブス包帯で固定され、2週間は絶対安静となりました。
部活も休まなければ、なりませんでしたし、しばらくはリハビリのため通院するという生活が続きました。
ギブスを外し、一定期間治療を受けて、痛みも少し落ち着いた頃、
再度MRI検査を受けたところ「画像上では、問題ないですね!今日で終わりにしましょう!」と言われました。
私は「え?」と思い、「先生、まだ痛みが残っているんですけど。それに力も全然入らないんです」とドクターに伝えました。
すると、「検査上、問題ないから、もう終わり、うちでやれることは全部やったよあとは自分でストレッチなり運動なりしてまた痛くなったらきてね」と言われました。
とても野球の練習できる状態では無いので困っていた時、野球部の友人に相談したら
「○○整骨院ってとこが評判いいよ!院長は学生時代野球部で今も草野球やってて、うちの親も通院して良くなったみたいだよ」と言われました。
「整骨院?なにそこ?」初めて聞いた名前でした。
風邪をひいたら内科、目が痛ければ眼科、ケガは整形外科と思っていました。
不安でしたが、他にあてもなかったので行ってみました。
すると入った瞬間にびっくりするくらい大きな声で「こんにちは!!!」の挨拶、受付の方の優しい笑顔、丁寧な初診時の対応で驚きました。
今までは、病院に行っても挨拶はの声は小さかったし、挨拶しない受付さんもいましたし、
ましてや病院で笑顔など、医師、看護師、受付さんなど私は当時一度も見たことはありませんでした。
まず、ここでこんなに不安だった気持ちが半分くらい和らいだのを覚えています。それは衝撃的でした。
で診察時にこれまでの経緯を院長に全てお伝えしました。
整形外科ではあまり相手にされませんでしたが、ここの整骨院の院長は中学生の私の話を、怖いくらい真剣に聞いてくれました。
そして検査をして、今の患部の状態と根本原因の説明、来院ペースを聞きました。
さっきまで怖い表情でしたが、この時はにっこり笑って
「うん、安心してください、良くなります、私も中学時代に肘を痛めてね時間はかかったけど、今も草野球を毎週やってるし、前を向こう!」とその言葉で、本当に救われました。
治療方針は全身の筋バランスと整えていく治療法と患部の治療の併用。
「最も大事なのは、全身骨格のバランス。勿論、肘の患部も大事だけど手だけで投げるわけじゃないでしょう?
同じように練習していても、痛める子、全く問題ない子いるでしょう。違いは、筋バランスや筋肉、身体の使い方の間違いなんだよ。」と目から鱗でした。
そうして整骨院での施術を受ける日々がはじまりました。
施術の度にどんどん良くなっていき「手で施術を行い回復させる」という仕事を間近に見て、大変興味を惹かれました。
治療計画通り通院していったところ2週間ほどで、かなり痛みが減っていき、日常生活でバックを持つ程度でも痛みがありましたが全く問題ないレベルまで軽減していきました。
その当時、私は「手技を施して身体を回復させる。薬も使わずに手だけで、
レントゲンやMRIの使用せず、患部を診たり、触ったりするだけで
どの程度なのか、何が問題点なのかが解ってしまう、何て凄い職業なんだろう」と衝撃を受けたのを覚えています。
整骨院での施術のおかげで少しずつ回復し、徐々に投げられるようになってきました。
約6か月かかりましたが、完全に痛みも消失し今まで通りプレイできるようになりました。
整骨院に先生やスタッフにとても感謝しています。
[高校卒業~就職 アシスタント時代]
やがて、高校卒業にあたり、中学時代から憧れていた柔道整復師(ほねつぎ)の免許取得の為に専門学校に進学するか悩みました。
私は中学卒業後は地元の工業高校に進学していましたがそこは、高校卒業時の就職率が当時は98%、残り2%は工業系の大学への進学であり、
専門学校への進学はゼロで、ましてや柔道整復師などのコメディカル(医師、歯科医師以外の医療に携わる職種の総称)は過去に誰もいませんでした。
それにコメディカルの専門学校は学費が高く、はたして本当に自分に合う職業なのかもわからずにいたため、
進学に踏み切る事はできず、親にも相談しましたが
「人の身体を診て治すなんて事、そんなの一部の限られた優秀な人間だけ。
人間性は勿論、技術の習得だって職人の世界、一人前になるのに、何十年かかるか
ましてや、国家資格なんだから、合格するかさえわからない。
そんな夢見るんだったら、地元の大企業に入れるんだからそっちのほうが、貴方の将来の為よ!」と言われました。
私自信は勉強に全く自信が無かった為、合格率を調べたところ、60%前後と書いてあり、想像より低く、さらに柔道整復師の専門学校の倍率は10倍以上でした。
当時は全国に10校程度しかなく、そもそも入学すら困難でした。
これらの事から、夢を諦めて地元の大企業に就職することにしました。
会社の仕事自体が嫌いではなく、とても良い会社で人に恵まれ尊敬できる上司や先輩でしたがなぜか、物足りなさを感じていました。
会社では野球部に入っていましたが、その時に腰を痛めてしまい、中学時代にお世話になっていた整骨院に再び通院することになりました。
そこで、改めて大人になってから、整骨院の仕事を見て、考えました。
院長に、実は悩んだ末、サラリーマンになったのだが、
本当は柔道整復師になりたかった事、学校に入るのが困難である事、国家試験に受かるかどうか不安だった事。を相談しました。
すると院長は、
国家試験は楽ではないが、高校までの勉強とは違い
みんな1からのスタートだということ。
毎日休まず学校に行き、真剣に授業に取り組み、毎日家で予習、復習をする事。
これで絶対合格できると。
それに学校で勉強した事、全部が仕事に生かせる。
患者さんに喜んでもらえる。頑張れると思わない?
と応援されました。
その言葉で、背中を押され、会社を辞め、柔道整復師として仕事をしようと決意しました。
親や会社の上司、先輩には反対されましたが、自分の夢の為に強引に説得し入学の為の勉強を1年間して翌年、なんとか専門学校に入学することができました。
専門学校生になると同時に整骨院でアシスタントスタッフとして働きました。
整骨院勤務は苦労の連続でした。
整骨院業界の事は何もわからなかったために仕事を覚えるのに時間がかかりました。
難しい漢字や身体の部位や筋肉、聞きなれない専門用語、人の身体を扱うという業種上の気配りなど、全てが未知の世界でしたが
一日でも早く仕事を覚えて、目の前の患者さんを安心させてあげ、先輩スタッフのサポートをして仕事をやり易くする為にどう動けば良いのか、考えながら仕事をしていました。
まだ資格が無い学生でしたので、施術はもちろんできませんでしたし、できる仕事はサポートや雑用のみでしたが、毎日必死に仕事をしていました。
専門学校は東京に通学しました。家から片道2時間、往復4時間の道のりです。
昼間部でしたので、授業が終わり次第、すぐに電車に飛び乗り、整骨院で仕事です。
クラスの生徒は年齢も環境もバラバラでした。
高校卒業後すぐに入学する生徒もいれば、全く別の業種から転職するために資格を取りにきた人、鍼灸師やあん摩マッサージ指圧師の資格は持っているがさらに柔道整復師の資格を取りに来た生徒など様々でした。
授業はとても難しく、人体構造を勉強していくというのは、想像以上に大変であり
誰もが国家資格を取得する為に集中して講義を受け、日々必死になって勉学に明け暮れていました。
電車の中も、座る事が出来ればすぐに教科書を開き、その日の復習と明日の予習を繰り返し勉強しました。
とても疲れる毎日でしたが、早く資格を取ってすぐに社会貢献したいという夢があり充実していたので頑張れたのだと思います。
[国家試験に向けての努力]
3年間の学生生活の最後には、いよいよ国家試験が控えており、合格しなければ資格を得る事はできません。
整骨院の仕事も続けながら国家試験の勉強も続けなければならないので、効果的に勉強を行うことが求められました。
そんな中、職場の先輩からのアドバイスを頂きました。これを実践した結果、驚くほど成績を上げる事ができました。
これにより、自信がつき、国家試験に向けてそれまでの人生の中で最も真剣に勉強が取り組む事ができました。
日中は学校、終わってからは夜まで仕事、その後深夜まで勉強を行う為、国家試験まで
あと3か月という期間には1日の睡眠時間が3時間という生活が続きました。
試験当日はとても緊張しましたが、自信を持って臨むことができました。
それでも結果発表の日までは、不安な日々が続きましたが、努力の甲斐もあり
無事、国家試験に合格する事ができました。
試験結果発表の直後、念願の「柔道整復師」の資格を手に入れた事で
涙が出るほど嬉しく、叫びながらガッツポーズをしたのを覚えています。
学校卒業後、「より多くの患者さんを治したい」との想いから
近所の整骨院に就職し、休日は東京まで有料の技術セミナーに毎週参加したり
治療家仲間と理論や技術の勉強会を開いて練習に明け暮れたりと、学校在学中のような忙しい日々を過ごしました。
若いうちはどんどん色々な経験や技術を学び、得意分野を見つけたほうがいいと思い経験を積み重ねていきました。
そうしてセミナー、勉強会、現場での施術を通して、より患者さんと地域に貢献できるよう技術、知識の研鑽に励みました。
そうして得た能力を発揮するため、生まれ育った地元での独立開業を決心しました。
[独立開業]
退職後、平成21年、4月に千葉県茂原市に石井すこやか整骨院を開院しました。
しかし開業して直面したのは、「開業はゴールではなく、スタート」という現実でした。
整骨院の患者様は慢性的な「肩こり、腰痛」などを訴えて来院される方が多く、
開業当初は「いかにその場で痛みを解消できるか」という事にフォーカスして施術を行っていました。
骨格や骨盤矯正にしても技術には自信がありましたので、修業時代も開業後も
来院した方の、多くの患者さんの痛みをその場で解消できていたのですが
たとえ、その日に「痛み」を矯正して一時的に解消させてたしても、また数日後には痛みが再発してしまうといった症例がありました。
つまりは、「痛みの解消」と「なおる」という事は、全くの別物であり、実際にその方を本当の意味で健康へと導くためには、
その症状を引き起こしている「根本原因」を解消させなければいけないという事実に直面したのです。
そのような方々の症状を根本から改善できないものかと勉強を進めるうち、
慢性疾患の多くは、「姿勢の悪化」により引き起こされるケースが圧倒的に多いという事がわかりました。
例えば、いわゆる「ぎっくり腰」も瞬間的に痛めてしまった症状のようですが、
実際には長期間の「慢性的な腰痛」を抱えている人がある時「急性的に」起こる症状です。
そして、その根本原因は、長期にわたり身体に負担が蓄積した結果として発生した「姿勢の歪み」にあり、
それを解消させない限り本当の意味で「なおった」という事にはならないのです。
しかし「姿勢の歪みの解消」には同様に長期間の施術が絶対的に必要であり、その為の施術計画に納得してもらい
「継続的に施術を受けていただく」という事が最も重要となります。
だからこそ適切な「問診、検査、カウンセリング」を通し
その方に起きている問題とその「根本原因」を明確にし、それらの解消に見込みと
そのための施術方法、施術期間、及び頻度といった、
「本当に知るべき情報」をお伝えする事に集中していく取り組みを行いました。
そしてその成果として実際に多くの患者さんに
「姿勢改善のための施術」を継続して受けていただく事ができ、
根本原因が解消した結果「一時的ではなく本当に良くなる事ができた」
という患者さんからの感謝の声をたくさんもらう事ができました。
一時的な痛みの緩和から、患者さんが長期間抱えている
本当の問題点の解消への治療方針の方向転換により、
より多くの方が、本当の健康を手に入れる事ができ、地域に社会貢献できたと思います。
より多くの方の健康への貢献を目指して
患者さんの喜びの声を励みに日々研鑽を重ねる中、自分の技術、知識を持って
「今までよりもより多くの方々の健康への貢献を目指したい」という目標を掲げました。
そして、施術以外でも健康とはを知ってもらうために健康教室を開催していく事を決めました。
「健康か良い姿勢から」というテーマのもと「症状の根本原因」を解消させ、
一人でも多くの地域の方々の身体のお悩みを解消するための活動を継続して行っていきます。
今後とも、よろしくお願いいたします。
石井すこやか整骨院 院長 石井貴樹